兵村地区のアカマツ・クロマツ
兵村地区に行くとオンコの木を主体にアカマツやクロマツが庭に植えてあるのが見られます。
私の実家にもクロマツがありましたが(数年前に伐採)、何時ごろからあるのか、今は亡き父に聞いた事がありました。
父が生まれる前からあったそうで、昭和30年代の写真をみても大きさから明治後期・大正時代の植樹のようです。
近所の庭には必ず1本はアカマツやクロマツがあったような記憶があります。
しかし大きくなりすぎて、電線にかかったり、畑の日陰になったり、道路に枝がはみ出し車線を覆うほど張り出してきたため、次々と伐採されてきました。
アカマツやクロマツは北海道に自生していないといいます。
どういう経緯でアカマツやクロマツが兵村の庭に植えられたのでしょうか。
① 兵村地区の各戸にあることから、何かの記念樹として配られた?
② 業者が斡旋販売した?
③ 北海道に自生していないアカマツが兵村地区の各戸にあるのは、本州の樹木が懐かしく感じる屯田兵家族が各自で購入した?
私は③では無いかと思っています。
屯田兵の入植が明治30年(1897年)ですから、それから10年経過した明治末から大正にかけて人々の生活も落ち着きはじめ、各家庭に庭を造る余裕も出てきたと思われます。
そのとき、自生するオンコの木だけでは飽き足らず、本州で庭に植えられていた郷愁を誘うこれらの松を植えたくなったのか。
松の苗木を購入するにも、本州から運ばれたでしょうから、高価な買い物だったと思われますが、それでも故郷を思い出し懐かしみたいと購入したのかもしれません。
海で隔たれた故郷を離れて辺境の地に骨を埋める覚悟で入植した屯田兵家族の気持ちを考えると、故郷との繋がりを持ちたいと考えるのは当然の成り行きだったのかもしれません。
今も各家庭の庭はこのマツやオンコと調和するように花壇が作られ綺麗に管理され、各家庭が美しさを競っています。
旧上湧別町時代には花いっぱい運動があって、花で飾られた綺麗な庭は表彰する制度もありました。
昭和の時代までは、農家も3世代、4世代が同居する家もまだあり、各家庭の庭も隠居したお年寄りが庭の草取りをして管理が出来ていました。
しかし、核家族化が進み、庭を管理するお年寄りが減ってくると、昔の様な手を掛けた庭が少なくなって来ています。
大きな石を配置した日本庭園風の庭も、石が撤去され、平らにならされた土に芝生が植えられ、花壇はあっても小さく整えられた庭が多くなって来ました。
若い世代ほど、ネットの世界、ゲームの世界に入り、時間がなく大きな庭を管理する余裕がなくなって来ているのも要因でしょう。
そういう庭もラベンダーが植えられ、おしゃれに変身していますが、昔ながらの松に、オンコ、季節の花々と一体化した庭も残っていって欲しいものです。
綺麗に整備された庭を見ながら散歩するのは、心和むものです。