北海道 ゆうべつ町

北海道オホーツク沿岸のほぼ中央に位置する人口およそ8,000人の湧別町。季節の移ろいご…

北海道 ゆうべつ町

北海道オホーツク沿岸のほぼ中央に位置する人口およそ8,000人の湧別町。季節の移ろいごとに様々な表情を魅せる自然豊かで人が輝くまちです。そんなゆうべつをもっと知ってほしいという想いで、定住を決めた地域おこし協力隊が湧別の魅力をお伝えしていきます。

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昔のかみゆうべつチューリップ公園

かみゆうべつチューリップ公園の知名度はマスメディアの紹介により、全道各地に知れ渡っていますが、ここまで知れ渡ったにはそれなりの歴史があります。 なぜ、上湧別にチューリップ公園なのか? それは農家の農地所有面積に関係があります。 湧別町は旧湧別町と旧上湧別町が平成21年に合併した町で、上湧別町は屯田兵で開拓された町です。 屯田兵には一戸5町(5ヘクタール)の土地が与えられました。 当時の農民にとっては大きな面積でしたが、今では一戸20~30ヘクタールが当たり前の時代になり

    • 主要作物の転換期に農家・農協・町・農業改良普及所はどう行動したかNo.4

      ~上湧別町寒地園芸営農センターの果たした役割~上湧別町寒地園芸営農センター(以下園芸センターと省略)は上湧別町と上湧別農協、北海道農業改良普及所などで構成されていた上湧別町農業推進協議会で運営されていました。  ここで掛かる経費は町と農協の折半でした。  当時のワープロで印刷されたパンフレットにあるように圃場を有していて、農業改良普及員(以下普及員と省略)が圃場で栽培試験を行い、その試験結果に基づいて栽培方法、施肥や防除などについて農家を指導していました。 当時の普及員は農

      • 主要作物の転換期に農家・農協・町・農業改良普及所はどう行動したかNo.3

        ~基幹作物の模索~タマネギ栽培へ~ アスパラガスの作付面積が減少していき、基幹作物を模索していく中で、タマネギを推す動きが出てきます。  このタマネギが農協によって計画的に作付けされるようになったのは、昭和46年に当時の上湧別農協の農産課長が北兵村一区の農家にお願いして、最初に本格的に作付けしてもらったのが始まりです。  タマネギを推奨する一番の理由はタマネギが高収益な野菜だということです。  また、連作が可能であり、大きな面積に作付け可能で当時の町内の平均耕作面積10ha前

        • 主要作物の転換期に農家・農協・町・農業改良普及所はどう行動したかNo.2

          ~バイオテクノロジーでアスパラガスの増殖を試みた時代~No.2 アスパラガスの増殖施設は上湧別町寒地園芸営農センター(以下園芸センターと省略)の土壌診断室を改造して作ることになりました。  農業改良普及所が湧別町に集約され土壌診断がそこで行われるようになったため、空いた園芸センターの土壌診断室を利用することになりました。  建物を新築してバイオテクノロジー施設(以下バイテクと省略)を整備する団体もありましたが、北海道大学の当時の施設は教室を仕切っただけの簡易的な施設だったの

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          ALT11年!町に愛され、町を愛したオリバー先生

          湧別に来たきっかけ ― どのような経緯で湧別を知り、ALTとして着任されたのですか? 高校生の時、交換留学生として来たのが最初です。ALTとして働く道があることを知った上で交換留学に参加しました。当時は今の湧別町が合併する前で旧湧別町には高校がなかったので中学校に3か月間通いました。(平成21年10月5日に上湧別町と湧別町が合併し、新「湧別町」が誕生しました。) それから数年後、ALTとしてくることになりました。 ALTとして湧別に来た理由 ― 交換留学がきっかけで

          ALT11年!町に愛され、町を愛したオリバー先生

          主要作物の転換期に農家・農協・町・農業改良普及所はどう行動したか No.1

          ~バイオテクノロジーでアスパラガスの増殖を試みた時代~上湧別地区の湧別平野は湧別川によって作られた肥沃な土地で畑作に適しています。 明治30年からの屯田兵開拓からいろいろな作物が作られてきましたが、時代の移り変わりとともに、主要作物も変化してきました。 今は全く見ない稲作も減反政策が行われるまで作付けされていました。 昭和40年代までは北限のリンゴで有名でした。 リンゴが腐らん病・黒星病などで衰退すると、畑作3品(ビート・ジャガイモ・小麦)とともにホワイトアスパラガスが高収益

          主要作物の転換期に農家・農協・町・農業改良普及所はどう行動したか No.1

          YOUは何しに湧別へ!?地域おこし協力隊インターン生インタビュー

          今回、地域おこし協力隊インターン生としてやってきたのは、岐阜県出身の田中那苗(たなかななえ)さんです。 そもそも地域おこし協力隊インターンとはなんだ?と思った方はまずこちらをご覧ください。 岐阜県出身19歳。どういう経緯で湧別へ? 田中さんが湧別を知ったきっかけは? ざっくり、「まちづくり」には興味がありましたが学びたいことがはっきりしないまま大学に行くことに抵抗があり、高校を卒業してからは2週間~数か月単位のインターン制度を利用して、全国各地様々な職種を経験しました。湧別

          YOUは何しに湧別へ!?地域おこし協力隊インターン生インタビュー

          じいちゃんから聞いた「松」の話

          この寄稿記事を拝読し、じいちゃんから聞いたことを思い出しました。 「この松はね、俺の…爺さんだったかひい爺さんだったかが、内地からリュックに入れて持ってきたんよ。リュックにね、苗木を。」 立派に育ったアカマツは 樹齢80年ほどになるのでしょうか。 今もじいちゃんがきちんと剪定して庭のシンボルとして家を守るように佇んでいます。 寄稿記事の筆者は「北海道に自生していないアカマツが兵村地区の各戸にあるのは、本州の樹木が懐かしく感じる屯田兵家族が各自で購入した?」と予想されてい

          じいちゃんから聞いた「松」の話

          兵村地区のアカマツ・クロマツ

           兵村地区に行くとオンコの木を主体にアカマツやクロマツが庭に植えてあるのが見られます。 私の実家にもクロマツがありましたが(数年前に伐採)、何時ごろからあるのか、今は亡き父に聞いた事がありました。 父が生まれる前からあったそうで、昭和30年代の写真をみても大きさから明治後期・大正時代の植樹のようです。 近所の庭には必ず1本はアカマツやクロマツがあったような記憶があります。  しかし大きくなりすぎて、電線にかかったり、畑の日陰になったり、道路に枝がはみ出し車線を覆うほど張り出

          兵村地区のアカマツ・クロマツ

          「音」で取り組むまちづくり―春を受け継ぐチューリップ―

          湧別町では毎年5月にかみゆうべつチューリップ公園でチューリップフェアが開催され、7haの面積におよそ200品種のチューリップが咲き誇ります。 このチューリップフェアにゲストとして半﨑美子さんに来ていただいたことをきっかけに交流が始まり、現在は湧別町チューリップ応援大使として湧別のPRにお力添えをいただいています。 ふるさと応援大使について↓ 湧別町と町花であるチューリップをイメージする楽曲『春を受け継ぐチューリップ』は、半﨑美子さんに湧別町長が「湧別町をイメージした曲を

          「音」で取り組むまちづくり―春を受け継ぐチューリップ―

          ゆうべつの色を紹介します

          こんにちは。湧別町地域おこし協力隊の竹内咲樹です。まちの色について、3回に渡りお伝えしてきました。 16日(いろの日の今日)、ゆうべつの色について発表します。 そらとしずくいろゆたかいろおひさまいろこころいろみらいいろ以上、5色がゆうべつの色を作ろうプロジェクト(色プロ)で選定した町の色です。#2でもお伝えしたとおり、色づくりに関わってくださったメンバーは皆、色づくりは町PRのひとつの手段であると考えています。 こんな町があるんだよって知ってほしいから。 「音」に続いて作

          ゆうべつの色を紹介します

          ゆうべつ来たら、ここみよう。 #まとめ

          こんにちは!湧別町noteを担当している地域おこし協力隊の竹内咲樹です。 今年は1月下旬に流氷が接岸しました。 さて、流氷も含めてこれまでnoteでは4回に渡りゆうべつおすすめ景観スポットをご紹介してきました。 そしてこのたび、四季を通して楽しめる計12か所の景観スポットを町内地図とともにぎゅっとまとめた看板ができました! 看板製作は湧別町出身のイラストレーターさんやカメラマンさん、カメラが趣味の町民の方々にご協力いただき、施工も町内事業者さんにお願いしました。 町にゆ

          ゆうべつ来たら、ここみよう。 #まとめ

          ゆうべつの色ができるまで #3

          こんにちは!湧別町地域おこし協力隊の竹内咲樹です。まちの色づくりについて、一筋縄ではいかなかった打ち合わせ内容を赤裸々公開中です。 メンバーが考えるゆうべつの色は?―色プロ第3回 肌寒くなってきた9月。 メンバーそれぞれ自分が思う町の色を用意してきました。 同じような色なのか?みなバラバラなのか?メンバー10人でどんな候補が出てくるのか、ドキドキワクワク。 他にも、折り紙を用意してくださったり、写真を共有したり。実は、記事上部に載せたサロマ湖の朝日の写真もそのうちの1枚で

          ゆうべつの色ができるまで #3

          ゆうべつの色ができるまで #2

          こんにちは!湧別町地域おこし協力隊の竹内咲樹です。 #1では色づくりのきっかけやメンバーについて紹介させていただきました。 今回は、実際にどのように決めていったのかを、私自身も振り返りながらお伝えしたいと思います。 先にお伝えしておくと、一筋縄ではいきませんでした。笑 初めまして―色プロ第1回1回目は昨年、2023年の7月。 予約していた会議室にクーラーがなく(北海道の施設ではあるある)、汗かきながら話し合った記憶があります。 会の始まりでは、町長から預かっていたメッセ

          ゆうべつの色ができるまで #2

          防風林?それとも目隠し?―開拓時代の道路の面影《続編》―

          1.屯田兵集落と道路昭和43年に発行された旧上湧別町史(昭和43年発行)には屯田兵の集落位置と戸々の屯田兵の兵屋の位置が掲載されています。 中隊本部(現上湧別中学校敷地)は湧別基線道路(国道242号線)に面していますが、五中隊一区~三区、及び四中隊一区~三区の集落は湧別基線道路から百間ほど(約200m)入った各号線を含んだ位置に設けられています。 湧別基線道路には屯田市街地や中湧別市街のように商業地として発展してきましたが、兵村集落を基線道路に設けると商業地発展の妨げにな

          防風林?それとも目隠し?―開拓時代の道路の面影《続編》―

          ゆうべつの色ができるまで #1

          こんにちは!湧別町地域おこし協力隊の竹内咲樹です。 町の広報紙で小さくお知らせしていましたが、「ゆうべつの色」をつくろう!というプロジェクトがあります。 大半の方が は? と思うと思います。実際に、こういうこと始めたんですよ~というと なにそれ? と何度も言われました。ですが、なんて説明しようとそのままで…ゆうべつの色が欲しかったのです。 と言っても、私が思いついたわけではなく町の人からの意見でした。 町長とのお話しから湧別町では、町長とまちづくりについてお話できる「町長

          ゆうべつの色ができるまで #1