北海道 ゆうべつ町

北海道オホーツク沿岸のほぼ中央に位置する人口およそ8,000人の湧別町。季節の移ろいご…

北海道 ゆうべつ町

北海道オホーツク沿岸のほぼ中央に位置する人口およそ8,000人の湧別町。季節の移ろいごとに様々な表情を魅せる自然豊かで人が輝くまちです。そんなゆうべつをもっと知ってほしいという想いで、定住を決めた地域おこし協力隊が湧別の魅力をお伝えしていきます。

マガジン

  • ゆうべつエトセトラ

    町について深く知りたい方はこちらから。 ほかのマガジンには属さない、まちの魅力や取り組みをまとめています。

  • これから訪れる方へ

    町内おすすめスポットや町の様子など、湧別に来る前に知っておきたい情報をまとめています。

  • ファンマガジン

    湧別について紹介しているクリエイターの素敵な記事をご紹介させていただきます。 #ゆうべついるよ #ゆうべつ来たよ を付けての投稿もお待ちしております。

  • お便り

    湧別町にまつわる記事を提供してくれた方の記事をまとめています。noteアカウントをお持ちでない方、町外の方からの記事もお待ちしております^^♪

  • ゆうべつを届ける

    ゆうべつから全国へ、心を込めて届けます。 生産者へのインタビューはこちらから✨

最近の記事

ふるさとのために私ができること

こんにちは。note担当地域おこし協力隊の竹内咲樹です。湧別町も夏らしくなってきました…職場にはエアコンがないので各自水分・塩分補給しながらバテないように頑張っています。 さて、今回はとてもパワフルな大先輩たちから元気をもらったお話をお伝えしたいと思います。 「少し開始が遅れましたが、これから小牧歌笑会との交流会を始めます。一曲目は”ふるさと”です!」上芭露地区老人クラブ 上芭露寿クラブ代表 上田定幸さんによる元気な一声が会場に響き渡りました。 サロマ湖100キロウルトラ

    • 湧別日本酒プロジェクト#2 ~仕込み&完成!?~

       こんにちは!湧別町企画財政課の髙橋です。7月に入り、北海道内も暑さが増してきましたね・・・皆さん夏バテには気をつけましょう。  さて、前回は「酒造りのきっかけ」をご紹介したところで終わりましたが、前回の投稿の後、まもなく湧別の酒の仕込みを行いました!今回はその模様などをご紹介します。 酒の仕込みは「帯広」で。  前回の投稿の際にも少し触れましたが、仕込みを行ったのは上川大雪酒造株式会社の「碧雲蔵(へきうんぐら)」。令和2年に帯広畜産大学キャンパス内に創設されました。大学

      • 第39回サロマ湖100キロウルトラマラソンが開催されました

        寒暖差の激しい地域であるオホーツク。今年で39回目となったサロマ湖100キロウルトラマラソン開催日は「暖」の日で、湧別町では午前9時に27.1℃まで上がりました。 (ちなみに次の日は「寒」の日で、湧別町午前9時は15.6℃でした…。) スタートは早朝5時。気温は18℃、風速2.1mと穏やかな気候の中、湧別町長による合図で開幕しました。 100kmコースは、湧別総合体育館をスタートし、サロマ湖とオホーツク海の両方を見渡せる登栄床地区まで行きUターンして(この時点で約20キロ

        • ゆうべつの色の活用事例

          こんにちは!ご無沙汰しております、湧別町地域おこし協力隊の竹内咲樹です。 5月は本町の一大イベントであるチューリップフェアに全力を尽くしていたところ、若手エースの高橋君が素敵な記事を書いてくれてとてもうれしかったです!個人的にはこのように書き手が増えていくといいな、と思います。 さて、今回はゆうべつの色の活用事例をご紹介します。 なにそれ知らんよ。という方はまずこちらをご覧ください。 ゆうべつの色、どう使われている?いろの発表から4か月、選定しただけで終わっていません。す

        ふるさとのために私ができること

        マガジン

        • ゆうべつエトセトラ
          27本
        • これから訪れる方へ
          10本
        • ファンマガジン
          25本
        • お便り
          17本
        • ゆうべつを届ける
          11本
        • ゆうべつのこどもたち
          4本

        記事

          湧別日本酒プロジェクト#1 ~酒造りのきっかけ~

           こんにちは!地域おこし協力隊の竹内・・・ではなく、湧別町企画財政課の髙橋です。湧別町note開設から1年1ヵ月、なぜ急に役場職員が出てきたのか!?と思っている方も中にはいますよね。それは何故か・・・タイトルにあるとおり、「湧別が取り組む日本酒造り」について、皆さんにもっと知っていただきたいからです!  そもそも、「湧別町がなんでお酒を造ることになったの?」と疑問を持たれている方は少なくないでしょう。今回は酒造りのきっかけをご紹介します。 湧別におけるお酒の歴史  まずは

          湧別日本酒プロジェクト#1 ~酒造りのきっかけ~

          note開設1年で起きたこと&振り返り

          こんにちは。湧別町地域おこし協力隊note担当の竹内咲樹です。 2024年4月で町のnoteを開設して1年が経ちました! 目標は達成できたのか?実際どうだった?変化はあった? 担当した1年間を振り返ろうと思います。お時間がある方はお付き合いください。 運営1年での目標note開設時に3つの目標を掲げました。 湧別町公式note一発目の記事 そのうち1つは運営1年でスキ1,000!クリアしたのか・・・? なんとかクリア・・・いえ、隠すことでもないので言いますがこのアカウ

          note開設1年で起きたこと&振り返り

          主要作物の転換期に農家・農協・町・農業改良普及所はどう行動したかNo.5

          ~ブロッコリーの導入~ ブロッコリーは単価も高く、高収益が見込まれました。  ブロッコリーは定植から収穫まで2~3ヶ月で収穫でき、定植時期を変えることで、主要作物の収穫期の忙しい時期を回避できます。  しかし、ブロッコリーの産地として市場に認められるには一定量を一定期間、出荷し続けなければなりません。  農家の暇な時だけ出荷するスポット出荷では、市場に認めて貰えず、価格も買い叩かれてしまいます。  それを回避するには、生産グループ(組合)を作り、その生産グループの中でブロッコ

          主要作物の転換期に農家・農協・町・農業改良普及所はどう行動したかNo.5

          主要作物の転換期に農家・農協・町・農業改良普及所はどう行動したかNo.4

          ~上湧別町寒地園芸営農センターの果たした役割~上湧別町寒地園芸営農センター(以下園芸センターと省略)は上湧別町と上湧別農協、北海道農業改良普及所などで構成されていた上湧別町農業推進協議会で運営されていました。  ここで掛かる経費は町と農協の折半でした。  当時のワープロで印刷されたパンフレットにあるように圃場を有していて、農業改良普及員(以下普及員と省略)が圃場で栽培試験を行い、その試験結果に基づいて栽培方法、施肥や防除などについて農家を指導していました。 当時の普及員は農

          主要作物の転換期に農家・農協・町・農業改良普及所はどう行動したかNo.4

          主要作物の転換期に農家・農協・町・農業改良普及所はどう行動したかNo.3

          ~基幹作物の模索~タマネギ栽培へ~ アスパラガスの作付面積が減少していき、基幹作物を模索していく中で、タマネギを推す動きが出てきます。  このタマネギが農協によって計画的に作付けされるようになったのは、昭和46年に当時の上湧別農協の農産課長が北兵村一区の農家にお願いして、最初に本格的に作付けしてもらったのが始まりです。  タマネギを推奨する一番の理由はタマネギが高収益な野菜だということです。  また、連作が可能であり、大きな面積に作付け可能で当時の町内の平均耕作面積10ha前

          主要作物の転換期に農家・農協・町・農業改良普及所はどう行動したかNo.3

          主要作物の転換期に農家・農協・町・農業改良普及所はどう行動したかNo.2

          ~バイオテクノロジーでアスパラガスの増殖を試みた時代~No.2 アスパラガスの増殖施設は上湧別町寒地園芸営農センター(以下園芸センターと省略)の土壌診断室を改造して作ることになりました。  農業改良普及所が湧別町に集約され土壌診断がそこで行われるようになったため、空いた園芸センターの土壌診断室を利用することになりました。  建物を新築してバイオテクノロジー施設(以下バイテクと省略)を整備する団体もありましたが、北海道大学の当時の施設は教室を仕切っただけの簡易的な施設だったの

          主要作物の転換期に農家・農協・町・農業改良普及所はどう行動したかNo.2

          ALT11年!町に愛され、町を愛したオリバー先生

          湧別に来たきっかけ ― どのような経緯で湧別を知り、ALTとして着任されたのですか? 高校生の時、交換留学生として来たのが最初です。ALTとして働く道があることを知った上で交換留学に参加しました。当時は今の湧別町が合併する前で旧湧別町には高校がなかったので中学校に3か月間通いました。(平成21年10月5日に上湧別町と湧別町が合併し、新「湧別町」が誕生しました。) それから数年後、ALTとしてくることになりました。 ALTとして湧別に来た理由 ― 交換留学がきっかけで

          ALT11年!町に愛され、町を愛したオリバー先生

          主要作物の転換期に農家・農協・町・農業改良普及所はどう行動したか No.1

          ~バイオテクノロジーでアスパラガスの増殖を試みた時代~上湧別地区の湧別平野は湧別川によって作られた肥沃な土地で畑作に適しています。 明治30年からの屯田兵開拓からいろいろな作物が作られてきましたが、時代の移り変わりとともに、主要作物も変化してきました。 今は全く見ない稲作も減反政策が行われるまで作付けされていました。 昭和40年代までは北限のリンゴで有名でした。 リンゴが腐らん病・黒星病などで衰退すると、畑作3品(ビート・ジャガイモ・小麦)とともにホワイトアスパラガスが高収益

          主要作物の転換期に農家・農協・町・農業改良普及所はどう行動したか No.1

          YOUは何しに湧別へ!?地域おこし協力隊インターン生インタビュー

          今回、地域おこし協力隊インターン生としてやってきたのは、岐阜県出身の田中那苗(たなかななえ)さんです。 そもそも地域おこし協力隊インターンとはなんだ?と思った方はまずこちらをご覧ください。 岐阜県出身19歳。どういう経緯で湧別へ? 田中さんが湧別を知ったきっかけは? ざっくり、「まちづくり」には興味がありましたが学びたいことがはっきりしないまま大学に行くことに抵抗があり、高校を卒業してからは2週間~数か月単位のインターン制度を利用して、全国各地様々な職種を経験しました。湧別

          YOUは何しに湧別へ!?地域おこし協力隊インターン生インタビュー

          じいちゃんから聞いた「松」の話

          この寄稿記事を拝読し、じいちゃんから聞いたことを思い出しました。 「この松はね、俺の…爺さんだったかひい爺さんだったかが、内地からリュックに入れて持ってきたんよ。リュックにね、苗木を。」 立派に育ったアカマツは 樹齢80年ほどになるのでしょうか。 今もじいちゃんがきちんと剪定して庭のシンボルとして家を守るように佇んでいます。 寄稿記事の筆者は「北海道に自生していないアカマツが兵村地区の各戸にあるのは、本州の樹木が懐かしく感じる屯田兵家族が各自で購入した?」と予想されてい

          じいちゃんから聞いた「松」の話

          兵村地区のアカマツ・クロマツ

           兵村地区に行くとオンコの木を主体にアカマツやクロマツが庭に植えてあるのが見られます。 私の実家にもクロマツがありましたが(数年前に伐採)、何時ごろからあるのか、今は亡き父に聞いた事がありました。 父が生まれる前からあったそうで、昭和30年代の写真をみても大きさから明治後期・大正時代の植樹のようです。 近所の庭には必ず1本はアカマツやクロマツがあったような記憶があります。  しかし大きくなりすぎて、電線にかかったり、畑の日陰になったり、道路に枝がはみ出し車線を覆うほど張り出

          兵村地区のアカマツ・クロマツ

          「音」で取り組むまちづくり―春を受け継ぐチューリップ―

          湧別町では毎年5月にかみゆうべつチューリップ公園でチューリップフェアが開催され、7haの面積におよそ200品種のチューリップが咲き誇ります。 このチューリップフェアにゲストとして半﨑美子さんに来ていただいたことをきっかけに交流が始まり、現在は湧別町チューリップ応援大使として湧別のPRにお力添えをいただいています。 ふるさと応援大使について↓ 湧別町と町花であるチューリップをイメージする楽曲『春を受け継ぐチューリップ』は、半﨑美子さんに湧別町長が「湧別町をイメージした曲を

          「音」で取り組むまちづくり―春を受け継ぐチューリップ―