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湧別日本酒プロジェクト#1 ~酒造りのきっかけ~

 こんにちは!地域おこし協力隊の竹内・・・ではなく、湧別町企画財政課の髙橋です。湧別町note開設から1年1ヵ月、なぜ急に役場職員が出てきたのか!?と思っている方も中にはいますよね。それは何故か・・・タイトルにあるとおり、「湧別が取り組む日本酒造り」について、皆さんにもっと知っていただきたいからです!
 そもそも、「湧別町がなんでお酒を造ることになったの?」と疑問を持たれている方は少なくないでしょう。今回は酒造りのきっかけをご紹介します。

湧別におけるお酒の歴史


 まずは湧別町のお酒の歴史についてご紹介しましょう。
 現在町内には酒造店はありませんが、1897年(明治30年)の夏に、伊藤紋藏もんぞう氏が後の酒造店となる雑貨店を開業したことが湧別におけるお酒の記録として詳細に残っています。伊藤氏はお店の裏を流れる湧水の質の良さに気づき、1903年(明治36年)に「伊藤紋藏酒造工場」を創設しました。紋別郡のほか常呂、佐呂間、網走まで出荷を行い、最盛期には管内で一番の生産量を誇っていたようです。(湧別町史、錦町開基100年記念史「100年の星霜」より)

国道239号と錦町4号線の角付近に酒造工場は存在していたようです。
伊藤酒造店の風景です。後ろに写っている「こも樽」は材料の木材を内地より取り寄せ、樽職人を雇って作っていたと伝えられています。


そして時は動き出す・・・「湧別の日本酒プロジェクト」始動


 現在、湧別町では「都市部との教育格差の解消」や「高校卒業後の地元定着」を図るため、小樽商科大学さんとの連携協定の締結に向けて協議を進めています。話がいきなり変わってしまいましたが、まぎれもなくお酒造りに関する話なのでご心配なく。実は、これが今回の取組のきっかけとなった出来事なのです。
 令和5年8月、小樽商科大学さんと刈田町長との懇談の際に、同大学と連携協定を結んでいる上川管内上川町の酒造会社 上川⼤雪酒造の島崎憲明会長も同席されました。島崎会長は湧別町ご出身であり、小樽商科大学の同窓会長も務められています。この懇談の中で「町の特産品として地酒づくりに取り組むのはどうか」と提案をしていただいたことから「湧別の日本酒プロジェクト」が始動しました。

さあ、酒をつくろう!


 と、意気込んだものの町内では酒米は生産していないですし、酒造店もありません。さて、ここで皆さん。湧別町の友好都市はどこかご存じですか?そう、道内有数の米どころである新篠津村です。新篠津村では酒米「彗星すいせい」を生産しており、新篠津村の石塚村長から直々に酒米の提供についてご提案をいただけたことから、上川大雪酒造の全面協力による日本酒造りを本格的に進めることが可能となりました。
 実はこのプロジェクト、既にかなり進んでおり、5月下旬から帯広市にある上川大雪酒造の碧雲へきうん蔵でお酒の仕込みが開始されます!

上川大雪酒造の碧雲蔵で醸造された日本酒「十勝」です。(画像は上川大雪酒造HPより)


 「湧別日本酒プロジェクトシリーズ第一弾」最後まで読んでくださりありがとうございました。次回は帯広での仕込みの風景などをご紹介させていただきます。お楽しみに!
 湧別町と新篠津村の友好都市提携に関しては下記からご覧いただけます。