普段何気なく通る道を調べてみたら ―開拓時代の道路の面影―
1.北海道によくある道路名
北海道内を旅行すると「10号線道路」とか「西3線道路」とかいう標識を良く目にします。
バス停留所にもそのような名称があります。
明治以降、北海道開拓によって土地が測量され、道路整備や区画整備が本格化するにつれて碁盤の目のように道路が割り当てられた名残が、この番号がつけられた道路名称です。
NHK衛星放送の「こころ旅」という番組があります。俳優の火野正平が視聴者からの「思い出の場所」を書いた手紙を元に自転車でその場所に向かって旅する番組です。
このなかで、昔の自分の家があった北海道のふるさとを尋ねて欲しいという内容で、昔の家が「○○町字〇線〇〇番地」という住所で「〇線」という住所を「田舎だな」と友達にからかわれたという手紙でした。
北海道では普通にある地名なので、ほっこりして見たことを覚えています。
2.湧別基線道路
国道242号線は湧別平野の中央を一直線に走る道路です。
この道路は、明治25年(1892年)に完成した「湧別基線道路」が起源になっています。
この「湧別基線道路」は外国からの守りをかためる上での軍用路としての性格を持っており開削が急がれていました。そのため、中央道路(注1)と同様、網走分監の囚人により開削されました。
幅員5.4メートル(3間)、延長26キロメートルで工事期間は約半年間、その間に17名もの死者が出たとされており、過酷で厳しい労働であったことを物語っています。
「湧別基線道路」の名称はその名残として南兵村二区(注2)にありました。
南兵村二区の自治会は通り毎に地区を分けていますが、「北通り」、「中通り」(20号線)「南通り」そして国道242線沿いの地区を「基線通り」と呼称していました。
道路の名前が変わっても、昔の道路名の一部が通称として残っている例ですね。
3. 〇〇号線道路・〇〇線道路と土地区画
この「湧別基線道路」を等間隔の300間(546m)の間隔で横に区切る道路があります。
これが、「○○号線」と呼ばれるもので、湧別から数えて1号線から順に遠軽の野上駅逓までの26Kmを分ける線が43号線まであります。
また、この「湧別基線道路」を中心に東西に同じく300間の間隔で道路が開削され、東1線・西1線というふうに分けられ、基線道路・○号線・東○線とそれぞれの道により300間の間隔に分けられた四角いマス目状の区画を形成しています。
なお、屯田兵の入った上湧別地区の西1線は「湧別基線道路」から300間の距離より狭く設けられているようです。
屯田兵各戸には5町の土地が割り当てられましたが、各戸にうまく5町づつ割り当てられるようにするため、西1線の幅を調整したのでしょうか。
これを読まれている方で、号線から号線まで300間(546m)の長さの畑のジャガイモやビートの草取りをしたことがある人はいるだろうか?
私が子どもの頃の話ですが、雑草を抜いても抜いても先が近づかない感じで、またイヤイヤ仕事をしてるものだから、ますます草取りの手伝いがイヤになった記憶があります(笑)
それくらい500メートルの畑は長い!!
4.道路がクランク形状になった訳は?
ところで、「湧別基線道路」から東西に開削された東1線道路、西1線道路がクランクになっている箇所があります。
真っ平らな未開の地で史跡や神社仏閣もない様な場所ですから、なぜ、何かをよけるように道をクランクにする必要があったのでしょうか。
数年前のNHKの「ブラタモリ」を見たときに、その謎が解けたような気がしました。
「ブラタモリ」は紹介する地域の歴史や地形、産業などを紐解く番組ですが、ある城下町が紹介された時の内容でなるほどと思いました。
西1線のクランクは道々上社名淵上湧別線(18号線)との交差点です。
この交差点から南に南兵村三区の集落があります。
東1線のクランクは19号線との交差点です。
この交差点から南に南兵村二区の集落があります。
「ブラタモリ」のその放送回では、城下町で道路にクランクを設けると先が見通せなくなること、行き止まりのように見えることから、クランクで待ち伏せするなど攻め込んできた敵に対応しやすくなる一つの方法だと説明していました。
南兵村2区も南兵村3区も外国からの攻撃に対応する屯田兵の集落ですから、湧別の浜に上陸してきた外国からの敵に対しての防御策の一つとして、海側からの入り口になる場所にわざわざクランクを設けたと考えられないでしょうか。
屯田兵を研究している方がいれば、教えて欲しいものです。
当時の道路脇は天然木が林立していたでしょうから、クランクを設けると道路は行き止まりに見えたでしょう。
現代の戦争では監視衛星やドローンもあるのでこのような小細工は効きませんが、交通安全に関しては役立っています。
西1線を通って道々上社名淵上湧別線(18号線)を横断し南兵村3区の集落に入る場合、クランクになっているので一時停止の見落としをしたり、道々をスピードを出して突っ切ることが出来ません。
現代において、このクランクは交通安全上有効に機能していると言えます。
5.山にも〇〇号線がある?
湧別平野は中湧別から上湧別方面に行くにつれて東西が山に囲まれ始めます。そして国道242号線に交差し東西に走る号線道路は山に近づくとそこで終点になります。
しかし、ほとんどの号線道路の敷地は山まで伸びています。
将来的に人口が増加し住宅地が足りなくなって山間に団地が造成されても、号線道路の延長は土地を買収することなく造成することが出来ます。
人口減少が続いている日本ではあり得ないと思いますが、2~3百年先は判りませんからね。
もっとも、そんな先だと車は空を飛び、道路は必要なくなっているかもしれませんが(笑)
資料
○ 1間=約1.82(≒1.818)メートル
○ NHK 「にっぽん縦断 こころたび」
249日目北海道士別市の回(2013年9月24日放送分)。このページで読まれた手紙の全文が確認出来ます。
○ NHK 「ブラタモリ」
2016年 #43「会津」の回でそのようなクランクした道路の話が出て来たようです。
○ 参考資料(ネットより)
町の開拓の礎「屯田兵」の博物館 ふるさと館JRYについて↓