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主要作物の転換期に農家・農協・町・農業改良普及所はどう行動したかNo.2

寄稿記事#13
町内にこんな施設があったなんて…理系の方には馴染み深い、もしくは懐かしいワードも出てきます。
No.1を読んでいない方はまずこちらから!

note中の人

~バイオテクノロジーでアスパラガスの増殖を試みた時代~No.2

 アスパラガスの増殖施設は上湧別町寒地園芸営農センター(以下園芸センターと省略)の土壌診断室を改造して作ることになりました。

園芸センター外観

 農業改良普及所が湧別町に集約され土壌診断がそこで行われるようになったため、空いた園芸センターの土壌診断室を利用することになりました。
 建物を新築してバイオテクノロジー施設(以下バイテクと省略)を整備する団体もありましたが、北海道大学の当時の施設は教室を仕切っただけの簡易的な施設だったので、土壌診断室の改造だけで十分でした。
 アスパラガスの培養は試験管に養分を入れた水溶液を寒天で固めた培地を作り、その培地にアスパラガスを植え込み増殖します。
 培地は養分豊富なので試験管内に雑菌が入るとカビやバクテリアが繁殖(コンタミの発生)します。
 培養室は塵や雑菌が浮遊しない綺麗な空気にする方が良いのですが、投資が抑えられるのであれば最新式のクリーンルームにしなくても北海道大学の培養室方式で十分だと考え、数パーセントのコンタミ発生があっても仕方がないという考え方でした。
 最新式のクリーンルームを作るにはそれなりの経費が掛かりますので、将来上湧別のバイテクがどうなるか私にはまだ見通せなかったため、投資をなるべく抑えたかったのです。
 培養室は蛍光灯設置された培養棚と蛍光灯の熱で室温が高温になるためエアコンが必要になります。

培養室内の様子

 試験管にアスパラガスを植え込むには、無菌環境でしなければならないため、クリーンベンチという機械の中での作業することになりますが、生産が進むにつれてクリーンベンチ1台から2台になりました。

クリーンベンチでの作業風景

また培地を煮沸殺菌するオートクレイブ1台など最小限の設備投資に抑えました。

昭和61年6月から試験研究が始まりました。
アスパラガスの試験管内での増殖方法は、農家のアスパラガスの畑から収量の多い株を探し出し、アスパラガスの先端部分の小側枝を殺菌して培地に植え込みます。培地とは、糖や窒素、リン酸、カリウム、ビタミン、アミノ酸などの栄養素や植物生長促進剤(植物ホルモン)などを加えた水溶液を寒天で固めたものです。
 試験管内の培地に植えられたアスパラガスの小側枝は生長して茎、枝、葉になります。
 茎から数本の枝が出ますから、この枝部分を切り取って培地に移植するとこの枝部分が茎になり、そこから枝葉が出て成長し、最終的に発根することでアスパラガスを増殖します。
 更に、発生した数本の茎や枝の節部を含む部分を分割して更に培地に移植すると、節部には枝となる脇芽わきめがあり、この脇芽が伸びてきますが、本来は枝として伸びるものが培地に移植することで茎となって伸び、その茎からまた数本の枝葉が発生して生長します。
 ここで、発根した個体は試験管から取り出して育て、発根していない個体は分割して更に増殖を繰り返します。
 このようにして増殖作業を繰り返す事で、株分けするように遺伝的に同一なアスパラガスが試験管内で大量に増殖できます。(下の「アスパラガス増殖方法」参照)

アスパラガス増殖方法
 図中の「シュート」は茎や枝の伸びたものを指します。
(シュート:shoot~新芽;若葉;若枝;若い茎;若い球根の意味)

 しかし、この増殖において、増殖した茎葉から根を発生させる方法に問題がありました。
 町でアスパラガスの増殖を始めた頃の当時の技術では、北大の方法でも増殖した茎葉から数パーセントしか発根しなかったのです。

試験管内の未発根アスパラガス写真

 しかも、透明な根が出たり、茎葉から根が取れやすかったりして、白い色の丈夫な根の出る確率が非常に小さかったのです。
 発根しなければ、試験から取り出して生育させることが出来ません。
 100本試験管で増殖しても数本しか発根しなければ、非常に効率が悪くなります。
 開始当初は優良株を試験管で増殖しながら、白い丈夫な根(貯蔵根)を如何に発生させるか、培地の成分を何十回も変えながら試験研究に没頭しました。

 培地には栄養素としてショ糖(普通の砂糖)が添加されていましたが、アスパラガスの根は養分を蓄える貯蔵根であることに注目しました。
 植物の代謝においてはブドウ糖が関係しており、ショ糖よりも分子量の少ないブドウ糖を添加した方が、生育した茎葉内でブドウ糖が過度に循環することになり、余分なブドウ糖を貯蔵するために発根しやすいのではないかと考えました。
 この考え方が当たり、昭和62年10月に白い根の発根率が30~40%まで上昇させる事が出来ました。

試験成果の発表(北海道園芸研究談話会 図表 平成3年12月)
試験成果の発表(北海道園芸研究談話会 文章 平成3年12月)

 発根率が30%台に上がっても、試験管にひとつづつ移植していては効率が悪いので、培養瓶を使うことにしました。
 培養瓶は試験管6~7本の面積を使いますが、培養瓶の培地にアスパラガスの増殖した茎葉の切片30~40個投げ入れてそのうち3割発根すれば10本以上の白い根の発根した苗が生産できます。


培養瓶移植前のアスパラガス茎葉切片
培養瓶内のアスパラガス状況(棚)
培養瓶内の発根状況写真

 このようにして生産体制を整えていきましたが、培養瓶から出したアスパラガスを外の環境に慣らす馴化が上手くいかず、枯らしたりして苦労が続きました。

バット内の発根したアスパラガス
馴化の様子①
馴化の様子②
馴化の様子③
馴化室外観
馴化室外観

それでも何とか平成元年には2万株ほどの苗を農家や一般家庭に配付できるところまでこぎ着けました。

 しかし、その頃にはアスパラガスの病気の蔓延が昭和62年から始まり翌年、昭和63年の収量が減少し始め、平成元年、平成2年には最盛期の半分まで反収が落ち込んでいます。

収穫量の推移表(上湧別町の農業 平成3年3月 町農政課発刊)
収穫量のグラフ(上湧別町の農業 平成3年3月 町農政課発刊)

 上記の図表からわかるとおり、病気に罹ると、前年において根に蓄える養分が減少し、翌年春の収穫量が減少するのが一目瞭然です。

 これでは如何に優秀な株をいくら供給しても防除を徹底しなければ、過去の収量さえ確保できないことを意味しています。
 収量を戻すには7月上旬まで収穫していた期間を6月中旬までにして貯蔵根の消耗を抑え、防除を徹底し貯蔵根を回復させる必要がありました。

普及所の資料~防除関係
普及所の資料~収穫期間の短縮

しかし、収穫期間の短縮は農家の春先の現金収入を減らし家計に影響するため実施する農家も少なく、アスパラガスの防除もあまりされませんでした。

このため、収量の落ち込みは続き、昭和61年(1986年)に192ヘクタールあった作付面積は平成7年(1995年)には45ヘクタールまで減少しています。(町史373ページ参照)
このようなことからアスパラガスを諦め、タマネギへの転換に移行していきました。

バイテク施設ではアスパラガスの他にユリ根、ニンニク、ナガイモ、イチゴ、花卉かき類のウィルスフリーなど第2、第3の野菜を目指しますが、一部の農家で栽培されるも収穫の手間や作業時期の競合、他の有利な作物(ブロッコリー)の作付けなどの理由により、バイテク施設は平成8年度で役目を終えます。

次回に続く