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主要作物の転換期に農家・農協・町・農業改良普及所はどう行動したかNo.5

寄稿記事#15
前作No.1~4はこちらです ↓ 一気読みをおすすめします。
バイオテクノロジーでアスパラガスの増殖を試みた時代
バイオテクノロジーでアスパラガスの増殖を試みた時代No.2
基幹作物の模索~タマネギ栽培へ~
上湧別町寒地園芸営農センターの果たした役割

note中の人

~ブロッコリーの導入~

 ブロッコリーは単価も高く、高収益が見込まれました。
 ブロッコリーは定植から収穫まで2~3ヶ月で収穫でき、定植時期を変えることで、主要作物の収穫期の忙しい時期を回避できます。
 しかし、ブロッコリーの産地として市場に認められるには一定量を一定期間、出荷し続けなければなりません。
 農家の暇な時だけ出荷するスポット出荷では、市場に認めて貰えず、価格も買い叩かれてしまいます。
 それを回避するには、生産グループ(組合)を作り、その生産グループの中でブロッコリーの生産時期と生産量を決めて出荷することで、ブロッコリーを一定量を一定期間、市場に供給できるようになります。
 タマネギの収穫時などの忙しい時期はなるべくブロッコリーの収穫を当てたくないのは人情ですが、忙しい時期の個々の作付面積を減らすなどして市場への供給を止めないようにして市場の信頼を得てきました。
 このようにして、生産グループのリーダー達は仲間を募って生産者も多くなっていきました。
 このブロッコリー導入当初は、園芸センターの圃場にブロッコリーも試験栽培され、農業改良普及員が品種試験や施肥試験を行い、生産グループとともに試行錯誤を重ねていました。

ブロッコリーの畑

 当時、ブロッコリーを段ボール箱に入れ本州の市場に送った事があります。
 ブロッコリーは花蕾からい(いくつもの小さな花のつぼみが重なっている状態)の塊ですが、生長すると黄色くなって花が咲きます。
 この状態なったらブロッコリーとして売り物になりません。
 生産グループのリーダー達は本州に送ったブロッコリーの競りの様子を見ようと市場に視察に訪れます。
しかし、本州の夏の暑さで花蕾が黄色くなり、市場の片隅に売れ残りとして捨て置かれていてショックを受けて帰ってきています。

 その視察でわかったことは、他の遠方からの生産地からは発泡スチロールに氷を入れて市場に送られて来ることでした。
 農協にお願いして、細氷製造装置を導入してもらい、段ボールから発泡スチロールに切り替えて製品の品質を保持し、「もっこりーず」という商標を作り市場の評価を得ていきます。

「もっこりーず」箱(農協のホームページより)
ブロッコリーが入った発泡スチロールの箱に細氷製造装置を用い氷を入れて品質を保持する
(写真提供:えんゆう農協)

 また、生産者の負担を減らすためにブロッコリー苗の育苗施設を国の補助事業で導入し、育苗を農協管理としたことで、農家の負担が減ったのも大きかったと思います。
 このブロッコリー苗の育苗施設は農業構造改善事業という国の補助事業で導入しましたが、町経由で申請する必要があり、町の農政課が補助申請事務を行いました。
また、事業費の補助残分を町と農協で半分づつ負担しており、町も積極的に応援していました。

ブロッコリー育苗施設
ブロッコリー育苗ハウス外観
ブロッコリー育苗ハウス

 ブロッコリーが普及したのは、ウィルスフリーのナガイモ、ニンニク、ユリ根よりも生産しやすかったのも一つの理由ですが、一番大きかったのは、生産グループのリーダー達の熱意だったと思っています。
 それに、普及員が協力し農協が細氷製造装置や育苗施設を導入して後押ししたのがブロッコリー普及の要因だと思っています。

 上湧別地区のタマネギ農家は、タマネギをメインにして作付けし、ビートや小麦でタマネギの長期連作を回避し、ブロッコリーも作付けする農家は、さらにブロッコリーで収益を上げるパターンになっています。

 屯田兵開拓以来130年あまり、ハッカや稲作やリンゴ等と色々な主要作物の変遷を経てきましたが、農家ばかりでなく、農協、町、農業改良普及所などの協力で主要作物が病気などで作れなくなる危機を乗り越えてきました。

 今後、その様な危機が訪れたとしても、人々の英知や熱意で危機を乗り越えていけると思います。
 現に今まで乗り越えてきているのがその証拠ではないでしょうか。

近年のブロッコリー育苗施設の様子は農協HPに掲載してありました。



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