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お便り

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湧別町にまつわる記事を提供してくれた方の記事をまとめています。noteアカウントをお持ちでない方、町外の方からの記事もお待ちしております^^♪
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#寄稿記事

寄稿記事を募集します。

こんにちは。湧別町公式noteを担当する地域おこし協力隊 竹内咲樹(たけうち さき)です。 唐突ですが、湧別町公式noteでは、“湧別町の魅力”を伝えたい方々の寄稿記事を募集します! 「湧別こんなところもあるよ~」「ここからの景色がおすすめ!」「昔はこうだったんだよ」「ホタテ、こうして食べると美味しいよ」などなど、ジャンルはなんでも構いません。一緒に湧別町の魅力を発信しませんか? なんてったって、主な担当者は“ヨソモノ”ですから。足りない部分、知らないことだらけなので。そ

主要作物の転換期に農家・農協・町・農業改良普及所はどう行動したかNo.5

~ブロッコリーの導入~ ブロッコリーは単価も高く、高収益が見込まれました。  ブロッコリーは定植から収穫まで2~3ヶ月で収穫でき、定植時期を変えることで、主要作物の収穫期の忙しい時期を回避できます。  しかし、ブロッコリーの産地として市場に認められるには一定量を一定期間、出荷し続けなければなりません。  農家の暇な時だけ出荷するスポット出荷では、市場に認めて貰えず、価格も買い叩かれてしまいます。  それを回避するには、生産グループ(組合)を作り、その生産グループの中でブロッコ

主要作物の転換期に農家・農協・町・農業改良普及所はどう行動したか No.1

~バイオテクノロジーでアスパラガスの増殖を試みた時代~上湧別地区の湧別平野は湧別川によって作られた肥沃な土地で畑作に適しています。 明治30年からの屯田兵開拓からいろいろな作物が作られてきましたが、時代の移り変わりとともに、主要作物も変化してきました。 今は全く見ない稲作も減反政策が行われるまで作付けされていました。 昭和40年代までは北限のリンゴで有名でした。 リンゴが腐らん病・黒星病などで衰退すると、畑作3品(ビート・ジャガイモ・小麦)とともにホワイトアスパラガスが高収益

じいちゃんから聞いた「松」の話

この寄稿記事を拝読し、じいちゃんから聞いたことを思い出しました。 「この松はね、俺の…爺さんだったかひい爺さんだったかが、内地からリュックに入れて持ってきたんよ。リュックにね、苗木を。」 立派に育ったアカマツは 樹齢80年ほどになるのでしょうか。 今もじいちゃんがきちんと剪定して庭のシンボルとして家を守るように佇んでいます。 寄稿記事の筆者は「北海道に自生していないアカマツが兵村地区の各戸にあるのは、本州の樹木が懐かしく感じる屯田兵家族が各自で購入した?」と予想されてい

防風林?それとも目隠し?―開拓時代の道路の面影《続編》―

1.屯田兵集落と道路昭和43年に発行された旧上湧別町史(昭和43年発行)には屯田兵の集落位置と戸々の屯田兵の兵屋の位置が掲載されています。 中隊本部(現上湧別中学校敷地)は湧別基線道路(国道242号線)に面していますが、五中隊一区~三区、及び四中隊一区~三区の集落は湧別基線道路から百間ほど(約200m)入った各号線を含んだ位置に設けられています。 湧別基線道路には屯田市街地や中湧別市街のように商業地として発展してきましたが、兵村集落を基線道路に設けると商業地発展の妨げにな

普段何気なく通る道を調べてみたら ―開拓時代の道路の面影―

1.北海道によくある道路名北海道内を旅行すると「10号線道路」とか「西3線道路」とかいう標識を良く目にします。 バス停留所にもそのような名称があります。 明治以降、北海道開拓によって土地が測量され、道路整備や区画整備が本格化するにつれて碁盤の目のように道路が割り当てられた名残が、この番号がつけられた道路名称です。 NHK衛星放送の「こころ旅」という番組があります。俳優の火野正平が視聴者からの「思い出の場所」を書いた手紙を元に自転車でその場所に向かって旅する番組です。 こ

見晴らしの良い景色【旭・五鹿山(ごかざん)】

湧別町にはオホーツク海に面していて、かつオホーツク海の海水が流入するサロマ湖があり、ホタテを中心とした漁業、水産加工業が盛んです。 このオホーツク海、サロマ湖を高い位置から見る景色も素晴らしいものです。 旭牧場の下から見る景色も遠くは紋別方面、湧別市街地方面が見渡せます。 オートキャンプ場やログキャビンが整備されている五鹿山公園も見晴らしが良い場所です。 展望広場に行く途中の樹木が途切れている場所の風景です。 湧別の酪農地帯とサロマ湖方面が見渡せます。 展望広場に行くと、

マッチ産業の面影【丸玉工場の跡】

道々上社名淵上湧別線(通称18号線)をウォーキングコースとして歩き始めました。 この道路は国道242号線から上湧別橋手前まで南側に片側歩道が設けられています。 この道路の上湧別端手前の歩道側に「丸玉工場の跡」という記念碑があります。 「明治40年、大阪の井上貞次郎等がこの地にマッチ軸木工場を建設した。 その後大正5年、丸玉鈴木商工株式会社が工場を買収し、(玉)湧別工場として、ベニア製造、製軸事業を行い、最盛期には八十余名の社員を有していたが、大正10年に工場を閉鎖した。」

小麦畑のある景色

7月下旬になると、秋まき小麦の収穫がこのオホーツク管内でもあちこちの市町村で始まります。 秋まき小麦は、前年のタマネギやビート(甜菜~別名「砂糖大根」)などの収穫直後の畑に播種され芽吹き、降雪前には畑は緑色に覆われます。 融雪時に越冬した小麦は残雪の中で緑鮮やかに見えます。 タマネギの移植やジャガイモやビートの播種が終わり、畑が緑で覆われてくると、小麦は出穂(しゅっすい~穂が出ること)が始まり、小麦の色は淡い緑に変化してきます。 そして収穫期を迎えた小麦は薄茶色に変色し周

見晴らしの良い場所【 湧別平野 】

湧別町は開盛から湧別の浜までの湧別平野、川西から三里浜までの海岸線、サロマ湖、旭から山間の富美方面、芭露から山間の上芭露方面、志撫子、計呂地と平野部、海岸線、湖、山間部と多彩な自然に溢れています。 地元住民にとっては田舎の見慣れた景色ですが、都会のビルに囲まれた生活をしている人間にとっては新鮮に映るものです。 この湧別町のnoteは湧別町をより詳しく知ってもらうのが目的でしょうから、観光の目玉であるチューリップ公園以外の自然の景観を紹介していくことも必要なことと思います。

昔のかみゆうべつチューリップ公園

かみゆうべつチューリップ公園の知名度はマスメディアの紹介により、全道各地に知れ渡っていますが、ここまで知れ渡ったにはそれなりの歴史があります。 なぜ、上湧別にチューリップ公園なのか? それは農家の農地所有面積に関係があります。 湧別町は旧湧別町と旧上湧別町が平成21年に合併した町で、上湧別町は屯田兵で開拓された町です。 屯田兵には一戸5町(5ヘクタール)の土地が与えられました。 当時の農民にとっては大きな面積でしたが、今では一戸20~30ヘクタールが当たり前の時代になり