北海道 ゆうべつ町
町内おすすめスポットや町の様子など、湧別に来る前に知っておきたい情報をまとめています。
湧別について紹介しているクリエイターの素敵な記事をご紹介させていただきます。 #ゆうべついるよ #ゆうべつ来たよ を付けての投稿もお待ちしております。
町には現在、0歳~18歳までの子どもが1,000人近くいます。ゆうべつで育つこどもたちはどのように過ごしているのでしょうか?
町について深く知りたい方はこちらから。 ほかのマガジンには属さない、まちの魅力や取り組みをまとめています。
湧別町にまつわる記事を提供してくれた方の記事をまとめています。noteアカウントをお持ちでない方、町外の方からの記事もお待ちしております^^♪
こんにちは。湧別町地域おこし協力隊note担当の竹内咲樹です。 2024年4月で町のnoteを開設して1年が経ちました! 目標は達成できたのか?実際どうだった?変化はあった? 担当した1年間を振り返ろうと思います。お時間がある方はお付き合いください。 運営1年での目標note開設時に3つの目標を掲げました。 湧別町公式note一発目の記事 そのうち1つは運営1年でスキ1,000!クリアしたのか・・・? なんとかクリア・・・いえ、隠すことでもないので言いますがこのアカウ
~ブロッコリーの導入~ ブロッコリーは単価も高く、高収益が見込まれました。 ブロッコリーは定植から収穫まで2~3ヶ月で収穫でき、定植時期を変えることで、主要作物の収穫期の忙しい時期を回避できます。 しかし、ブロッコリーの産地として市場に認められるには一定量を一定期間、出荷し続けなければなりません。 農家の暇な時だけ出荷するスポット出荷では、市場に認めて貰えず、価格も買い叩かれてしまいます。 それを回避するには、生産グループ(組合)を作り、その生産グループの中でブロッコ
~上湧別町寒地園芸営農センターの果たした役割~上湧別町寒地園芸営農センター(以下園芸センターと省略)は上湧別町と上湧別農協、北海道農業改良普及所などで構成されていた上湧別町農業推進協議会で運営されていました。 ここで掛かる経費は町と農協の折半でした。 当時のワープロで印刷されたパンフレットにあるように圃場を有していて、農業改良普及員(以下普及員と省略)が圃場で栽培試験を行い、その試験結果に基づいて栽培方法、施肥や防除などについて農家を指導していました。 当時の普及員は農
~基幹作物の模索~タマネギ栽培へ~ アスパラガスの作付面積が減少していき、基幹作物を模索していく中で、タマネギを推す動きが出てきます。 このタマネギが農協によって計画的に作付けされるようになったのは、昭和46年に当時の上湧別農協の農産課長が北兵村一区の農家にお願いして、最初に本格的に作付けしてもらったのが始まりです。 タマネギを推奨する一番の理由はタマネギが高収益な野菜だということです。 また、連作が可能であり、大きな面積に作付け可能で当時の町内の平均耕作面積10ha前
~バイオテクノロジーでアスパラガスの増殖を試みた時代~No.2 アスパラガスの増殖施設は上湧別町寒地園芸営農センター(以下園芸センターと省略)の土壌診断室を改造して作ることになりました。 農業改良普及所が湧別町に集約され土壌診断がそこで行われるようになったため、空いた園芸センターの土壌診断室を利用することになりました。 建物を新築してバイオテクノロジー施設(以下バイテクと省略)を整備する団体もありましたが、北海道大学の当時の施設は教室を仕切っただけの簡易的な施設だったの
湧別に来たきっかけ ― どのような経緯で湧別を知り、ALTとして着任されたのですか? 高校生の時、交換留学生として来たのが最初です。ALTとして働く道があることを知った上で交換留学に参加しました。当時は今の湧別町が合併する前で旧湧別町には高校がなかったので中学校に3か月間通いました。(平成21年10月5日に上湧別町と湧別町が合併し、新「湧別町」が誕生しました。) それから数年後、ALTとしてくることになりました。 ALTとして湧別に来た理由 ― 交換留学がきっかけで