北海道 ゆうべつ町

北海道オホーツク沿岸のほぼ中央に位置する人口およそ8,000人の湧別町。季節の移ろいごとに様々な表情を魅せる自然豊かで人が輝くまちです。そんなゆうべつをもっと知ってほしいという想いで、定住を決めた地域おこし協力隊が湧別の魅力をお伝えしていきます。

北海道 ゆうべつ町

北海道オホーツク沿岸のほぼ中央に位置する人口およそ8,000人の湧別町。季節の移ろいごとに様々な表情を魅せる自然豊かで人が輝くまちです。そんなゆうべつをもっと知ってほしいという想いで、定住を決めた地域おこし協力隊が湧別の魅力をお伝えしていきます。

マガジン

  • これから訪れる方へ

    町内おすすめスポットや町の様子など、湧別に来る前に知っておきたい情報をまとめています。

  • ファンマガジン

    湧別について紹介しているクリエイターの素敵な記事をご紹介させていただきます。 #ゆうべついるよ #ゆうべつ来たよ を付けての投稿もお待ちしております。

  • ゆうべつのこどもたち

    町には現在、0歳~18歳までの子どもが1,000人近くいます。ゆうべつで育つこどもたちはどのように過ごしているのでしょうか?

  • ゆうべつエトセトラ

    町について深く知りたい方はこちらから。 ほかのマガジンには属さない、まちの魅力や取り組みをまとめています。

  • お便り

    湧別町にまつわる記事を提供してくれた方の記事をまとめています。noteアカウントをお持ちでない方、町外の方からの記事もお待ちしております^^♪

記事一覧

主要作物の転換期に農家・農協・町・農業改良普及所はどう行動したか No.1

YOUは何しに湧別へ!?地域おこし協力隊インターン生インタビュー

じいちゃんから聞いた「松」の話

兵村地区のアカマツ・クロマツ

主要作物の転換期に農家・農協・町・農業改良普及所はどう行動したか No.1

~バイオテクノロジーでアスパラガスの増殖を試みた時代~上湧別地区の湧別平野は湧別川によって作られた肥沃な土地で畑作に適しています。 明治30年からの屯田兵開拓からいろいろな作物が作られてきましたが、時代の移り変わりとともに、主要作物も変化してきました。 今は全く見ない稲作も減反政策が行われるまで作付けされていました。 昭和40年代までは北限のリンゴで有名でした。 リンゴが腐らん病・黒星病などで衰退すると、畑作3品(ビート・ジャガイモ・小麦)とともにホワイトアスパラガスが高収益

YOUは何しに湧別へ!?地域おこし協力隊インターン生インタビュー

今回、地域おこし協力隊インターン生としてやってきたのは、岐阜県出身の田中那苗(たなかななえ)さんです。 そもそも地域おこし協力隊インターンとはなんだ?と思った方はまずこちらをご覧ください。 岐阜県出身19歳。どういう経緯で湧別へ? 田中さんが湧別を知ったきっかけは? ざっくり、「まちづくり」には興味がありましたが学びたいことがはっきりしないまま大学に行くことに抵抗があり、高校を卒業してからは2週間~数か月単位のインターン制度を利用して、全国各地様々な職種を経験しました。湧別

じいちゃんから聞いた「松」の話

この寄稿記事を拝読し、じいちゃんから聞いたことを思い出しました。 「この松はね、俺の…爺さんだったかひい爺さんだったかが、内地からリュックに入れて持ってきたんよ。リュックにね、苗木を。」 立派に育ったアカマツは 樹齢80年ほどになるのでしょうか。 今もじいちゃんがきちんと剪定して庭のシンボルとして家を守るように佇んでいます。 寄稿記事の筆者は「北海道に自生していないアカマツが兵村地区の各戸にあるのは、本州の樹木が懐かしく感じる屯田兵家族が各自で購入した?」と予想されてい

兵村地区のアカマツ・クロマツ

 兵村地区に行くとオンコの木を主体にアカマツやクロマツが庭に植えてあるのが見られます。 私の実家にもクロマツがありましたが(数年前に伐採)、何時ごろからあるのか、今は亡き父に聞いた事がありました。 父が生まれる前からあったそうで、昭和30年代の写真をみても大きさから明治後期・大正時代の植樹のようです。 近所の庭には必ず1本はアカマツやクロマツがあったような記憶があります。  しかし大きくなりすぎて、電線にかかったり、畑の日陰になったり、道路に枝がはみ出し車線を覆うほど張り出